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私証説

たんなるお話ではない。

じっさいに起きた事件を基に書いている。

 

雷に打たれた。

 

文字道理に。

 

一瞬頭をパンとはたかれたような衝撃を受けた。

 

わたしにはそれが大音響の雷鳴によるものだと思った。

 

周りにいた者達に「今の雷近くに落ちたみたいだったね」と語りかけると。

 

恐ろしげにこちらを見ながら「君の頭の上に落ちたよ」

 

周りにいたもの達が皆異口同音にそういう。

 

 

みな気を取り直したようにその場から歩み寄り私の上から下までを不思議そうにじろじろと見まわす。「なんともないの?」と聞かれてただ「うん」と答えた。

 

この事件が私にまつわる不思議な出来事の始まりだったように思う。

 

 

 

私のことをちょっとだけ紹介しておこう。その頃の私は武士の子と何かにつけて言われて育っていた。その頃は日本刀も本身のものが家にあり実際に手にして振り回すこともあった。また本物の銃を所持していて庭で実弾射撃もしていた。さらに毎日のように叔父から柔道の受け身を徹底的に訓練されていた。そんな変わった家だった。

 

私の家はこの国にあって特権階級に属する家柄だったことがのちに判明するのだが現在の天皇陛下を親戚の銀座能楽堂にこけらおとしのためにお迎えすることになる日まで、(その時はまだ皇太子で有られたのだが、)私は自分の身分のことなど何も理解していなかった。

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小学生時代の5年生頃のことだったと記憶しているこの落雷事故とほぼ時期を同じくして交通事故にあうことになった。友達とふざけっこをしていて遊びに夢中になり勢いで後ろ向きのままで表道路に飛び出してしまった。その刹那通りかかったハイエースの2トントラックにノーブレーキで跳ね飛ばされてしまったのだ。

 

本人の感覚では友達に首の骨が折れそうになるほど強く後ろから突き飛ばされたのだと思った。足が宙に浮きそれが地面につくと今度はその足を支点にうつぶせにアスファルトにたたきつけられた。前受け身でショックを和らげおなかでアスファルト上を滑っていくと後ろから急ブレーキのけたたましい音がした。

 

私は車にひかれては大変と素早く立ち上がって前に走って難を逃れた。後ろを見ると前を大きくへこませたトラックが目に入った。「うわ、やっちまった」その時の私の正直な感想がそれだった。私のほうは前受け身で地面を強くたたいた手のひらが痛かったぐらいで擦り傷もおってはいなかった。

 

トラックから運転していたおじさんが飛び出してきた。「だいじょうぶか」の声に私は「車が壊れちゃった」と答えると「車はどうでもいいよそれよりどこか痛いところはないの、けがはないの」と体じゅうをなで回された。まわりでは友達がわんわん泣いていたりして騒然としていた。わたしは「だいじょうぶなんでもないから」と言って車は心配しなくていいというおじさんの気持ちが変わらないうちにとその場を取り繕って家に逃げ帰ってきてしまった。当時はトラックでも高額資産だったのだ。

 

私が姿を消したあと現場では大騒ぎになってしまっていた。調布警察から大勢の警察官が動員され私の捜索活動が展開されていた。理由は警察官が来て現場検証したところブレーキ痕の長さから運転手が主張した40キロではなく50キロ以上と推定したのだ。

 

50キロの速度でノーブレーキではねとばされ地面にたたきつけられた子供が無事なわけがないという判断だったそうだ。もしかするとその辺の草むらに倒れて死んでいるのではないかそう遠くへ行けるはずがないと思っていたようです。

 

私が見つからないため小学校の校長や担任にまで連絡がいって大騒ぎになりどうしたものかと議論になっていたようです。子供が見つからないのに親にどう説明して連絡を入れたらいいのかと。親からの捜索願が出るのを待とうかなどとの話し合いがなされたのだとか。そんなことになっているとはつゆ知らず。何事も無かったように晩御飯にありついていました。7時ごろだと思うのですが調布警察から家に電話がありました。

 

「お宅のお子さんはまだお帰りになっていないと思うのですがご心配ではありませんか」父が電話に出て「何のことですか、うちの子なら今目の前で食事してますが」「えー!本当ですか、ほんとうですねー!よかったー」という調子だったようです。

 

そのあと事情を知らされた父親からこっぴどく叱られたのは言うまでもありません。

 

その連絡があってから念のためと言って確認に警察の方が訪れ、私に合わせるようにいうのでその方の前に立つと「えっ!この子がはねられた本人ですか、もっとゴッツイ子かと思いましたら普通のお子さんじゃないですか」。

 

私はその日父から下手をしたら明日冷たくなっているかもしれないなどと脅されて真剣に死の恐怖と対峙していました。その日本当に死について真剣に考えることになりました。

 

本気で神様に死なないように祈ったことを覚えております。

 

翌日朝目が覚めた時はよかった生きていたと安堵し喜んだことを覚えています。学校に行くと迷惑なことに昨日のその話で持ち切り状態でした。

 

その後なんともなかったかというとそうではありません。その当時まだむち打ち症などという言葉もない時代でしたので頭がボートしたり集中力が保てなかったりの症状にだいぶ悩まされていたのですがそのままになってしまいました。

 

何の治療も受けることなく今日に至っております。

 

 

私の波乱万丈の人生の始まりはこんな具合だったのです。

 

 

あの雷は何だったのか。

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